| 歴史 |
当「幾松」は、幕末の頃倒幕運動に大きな役割を果たした維新の三傑の一人である桂小五郎(のち木戸孝允)と三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡です。
木戸孝允が没した翌日、松子夫人は剃髪染衣し翠香院と号し、お二人の想い出に溢れた当屋敷で余生をお過ごしになりました。
国土の歴史的景観に寄与しているものとして、二棟が国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。
|
 |
| 桂小五郎と幾松 |
幾松は若狭小浜生まれ。小浜藩士の木崎市兵衛と、医師の細川益庵の娘との間に生を受けました。しかし幼少の頃、藩内の事件から父、市兵衛が妻子を残して出奔。八歳の時に京都に出てそののち三本木の芸妓になりました。
桂小五郎とのロマンスは文久のころから始まったと伝えられております。当時、反勢力より、常に命を狙われていた桂小五郎を自らの命をかけ、機転を利かせ護りぬいた幾松の気丈さと愛の深さ、また二人の信頼関係の強さは、維新後の明治時代の人々にも多くの尊敬を集めました。
明治維新後、桂小五郎は木戸孝允と改名し、参議など要職を歴任、政府内の進歩派の中心として、廃藩置県、藩政奉還に尽力しました。幾松は山口藩士の岡部富太郎の養女となり松子と改名、正式に木戸孝允の妻となりました。
殺伐とした幕末動乱期に花を咲かせた二人のロマンスは、時を経た現代の私たちにも深い共感を呼ぶあでやかなエピソードとして名高いものです。
|
| 幾松の部屋 |
 |
幕末当時、幾度となく当時の長州藩の尊王攘夷派の反勢力により詮議を受けたと伝えられている当屋敷でございますが、今も尚、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井など出来る限り当時に近い状態で保存いたしております。当時は、不意の敵にそなえて、幾松の間の天井には大きな石が仕掛けられておりました。
御客様に全てをお見せすることは文化財保存の概念より致しかねますことをご了承くださいませ。
|